犬の散歩

 


私は犬を飼っている。自慢ではないが血統書つきだ。雑種の。

犬を飼っているからにはまず仕事として浮かび上がるのが散歩だ。
犬というのは何故か知らないけれど外に出なければストレスが溜まるらしい。
どちらかというと引きこもり組の私にしてみれば、全く理解できない話だ。
犬に面と向かって聞いてみても、わんわんといって話を逸らすばかりで問いに答えるつもりはなさそうだ。
あんなに寒かったり熱かったりする外が良いと言うからには、それなりの理由を説明するべきだろう。
室内はこんなに素晴らしいと言うのに。
理由? そんなもの、真に素晴らしい物には必要ない。

しかし、愛犬の健康のため。私もそれに付き合わねばなるまい。飼い主の責任という奴だ。

と言うわけで、散歩をしてみた。
おお、そこの私の立派すぎる飼い主ぶりに感涙を流している貴方、遠慮しないでもっと私を讃えてくれたまえ。

しかし皆、私の尊敬の念を抱いているところに水を差すようで悪いが、じつはこの散歩もそう大変な事でもないのだ。
私の犬は優秀なので、犬の方が私をリードしてくれるのだ。
普段はそのリードが早すぎて、私が追いつけないような事態に陥るのだが、これもひとえに私の教育の賜物だろう。
さあ、拍手したまえ。

さて、犬は私の家から数十mしか離れていないところで電柱の臭いをふんふんと嗅ぎ、その場から動かなくなった。

私としてはこの寒い中(言い忘れたが、すでに12月)、あまり長い間外にいたくはない。さっさと帰りたいのだ。
しかし、幾らぐいぐい引っ張っても何故か犬ははなれようとしない。

私の犬がごく希にとる数え切れないほどの奇行の内の一つだ。

この『世紀の天才』と言われた人間の伝記を読んだことがあったり無かったりする私を持ってして、全く理解できない。

一体電柱の臭いの何に惹かれているのだろうか?
もしや電柱の臭いの中には私の犬が嗅ぎたくて嗅ぎたくて仕方が無くなるような化学物質が含まれていたり、前世に罪をおかして電柱の臭いを嗅がなければならなかったりするのだろうか?
少なくとも私はそんな化学物質は耳にしたことがないし、前世などと言う信憑性の薄い物では説明としては不十分だ。
せめて朝の十二宮や血液型占いくらいの科学的根拠を示して貰いたい物である。

しかし、幾ら犬が飼い主に似ると言っても、こういった天才的で周りの人間には理解できない行動を取るのは困り者だ。
私のように町内の犬から仲間はずれになってしまうのではないだろうか。
まったく、一般人というのは天才をのけ者にするから困る。
ちなみに天才と奇人は紙一重と言うが、私はどちらかというの天才だと思いつつ実はどっぷり奇人の領域に浸かっていたりいなかったりするのだが、そんな私自身をおとしめるような言動は慎むとする。

しかし本当にこの行動は理解に苦しむ。
もう三十余秒も同じ電柱の臭いをくんくんくんくん。
ここまで夢中でやられると、その意図を理解したくなるのが天才という物だ。
ん? あなた達の天才のイメージはそんなのじゃない? それはあなた方が全員間違っていて、私が唯一正しいのだ。ウワッハッハ。

どうすれば理解できるだろうか?
私の脳はよく犬並みだと言われるが、それほどの素質をもつ私でも別の個体である犬の思考を完全に模倣するのは不可能だろう。

となれば、同じような行動をとるしかあるまい。

私は、犬のように四つんばいになり、電柱の臭いを嗅いだ。
くんくん。くんくん。
……一体全体これが何だというのか? 理解にはまだしばらく時間がかかりそうだ。

私の犬はもう飽きたのか場所を変えようとぐいぐいと私を引っ張り始めた。
あ、待って。もうちょっと。

 

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