「ここです」
麻帆良学園中等部の女子寮、その一室へ続く玄関ドアを指さしながら、私は憮然と告げました。 私の顔は、普段に比べてよほど不機嫌に染まっているのでしょう、隣に居るのどかはさっきからちらちらと私の顔を見ています。
仕方がないでしょう。 誰でも自分の嫌いな人間が自分の部屋に、泊まることを前提で来る事になったら、むかつくものです。
嫌いな人間、と言うのはどうも曖昧ですね。 具体的に言いましょう。
「そうですか。じゃ、入りましょう」
この声の持ち主、ネギ・スプリングフィールド。 私の嫌いな人間ランキングで圧倒的にダントツでbPのクソガキです。
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「部屋に入る時はちゃんと挨拶しろです」
無言で足を踏み入れたネギ先生に向かって、私は注意しました。 振り向いた彼の顔は、全く悪びれている様子もなく。
「日本の挨拶は『お邪魔します』でしたっけ? 家に入るそばから自分が邪魔するって宣言するのもどうかと思いまして。別に言っても構いませんが、それなら僕も遠慮せずに邪魔しますよ?」 「っ!!」
思わず脳内血管が破裂しかけましたが、何とか気力で耐え抜きます。 これからしばらくは面と面を付き合わせなければならないのですから、これくらい出来なかったら駄目です。
「……荷物はそこら辺においてください」 「分かりました。ところで、あれはなんですか?」
ネギ先生は怪訝な顔をしてある場所を指さしました。 そこには、耳にヘッドホンを付けて鬼神の如き表情でペンをかりかりと動かしている人間がいました。 いえ、あの状態からして既に人間失格寸前と表すべきでしょうか。
「えっと、たしか同人誌の〆切が近いから修羅場だ〜って騒いでたんですけど」
のどかの放った聞き慣れない言葉に、ネギ先生はしばし考え込み、そしてああと頷きました。
「要はオタクって事ですか」 「そんな身も蓋もない……」
と言いつつ、別段否定するわけではありませんが。
「ともかく、一応ネギ先生が泊まることになったくらいは知らせるべきでしょうね」 「でも夕映、あの状態のハルナに話しかけるのはちょっと危ないよ?」 「殆どトランス状態にありますからね……」
むしろ狂気と言った方が正しいでしょうか。 以前あの状態のハルナを呼ぼうとしたら、深夜だというのに凄まじい眼力で見据えられた後に「神が、神が降臨した!! ウキァキァキァキァアアア!!!」とか叫ばれて、周りの部屋の人達に頭を下げて回った思い出があります。
「僕が呼びますよ」
さてどうしようかと頭の中で思案する中、ネギ先生がハルナに近付いていきました。
「早乙女さん」 「あー、あー、かゆ、うまー……」
なにげにGウイルス感染中のハルナの頭に、ネギ先生は手を載せました。
「…………」
そして、口を動かし何かを言います。 少々距離が離れているここからでは何と言ったのかは分かりませんでしたが、とにかく効果はてきめんでした。 目をぱちくりさせて、辺りを見回し、そしてネギ先生に気付きます。
「……あれ? 何で君がここに?」 「今日から、ここに住むことになりましたので、よろしく」 「へ? あ、うん」
言うだけ言って、興味を失ったかのようにハルナから目線を外したネギ先生は、中心に立ってぐるりと部屋を見渡しました。 ふむ、と一人何かを納得して、人差し指で二段ベットの近くにあるロフトを指しながら私達に振り返って、尋ねてきます。
「あそこは使ってるんですか?」 「ロフトですか? いえ、元々私達はものを沢山持つタイプじゃありませんから」 「そうですか。じゃあ、僕はあそこで寝させて貰いますが、構いませんね?」 「いいんですか、あんなところで」 「庶民的な暮らしというものに興味がありますからね」
そう言って皮肉げに笑った彼は、そのままずっと持っていた登山バックを背負い直しました。 しかしもの凄い量です。 収容量は普通のバックの比ではない大人用登山バック。それを持ってしてもネギ先生の荷物は納めきれず、ジッパーの締め切れていない所からは包帯に包まれた妙な棒がはみ出しています。
「さっきから思っていたですが、それ、重く無いですか?」 「別にそうでもありませんよ。持ってみますか?」
そう言って彼は肩からバックを取り、片腕で私に差し出してきます。 全く震えもしていないその腕を見る限り、確かにそう重いわけではなさそうです。 しかし、だとしたら中には発泡スチロールでも詰まっているのでしょうか? 疑問に首を傾げながら、その荷物をねんのために両手で受け取ります。
「きゃあ!!」
受け取ってしまった瞬間、思わず悲鳴を上げてしまいました。
重い、重い、重すぎます。 これはいくら何でも重すぎます。重量過多、私という人間の積載限界を楽々オーバーです。 私の身体は危うく下敷きになりそうになり、すぐに荷物を離しました。
ズゥン……!
床に落ちた瞬間、部屋全体が僅かに揺れました。
「ど、どこが『別にそうでもありません』ですか!!」
私の抗議に、ネギ先生は反省の表情など塵ほども見せることもなく、それどころが例の意地悪い笑みを浮かべて言い放ちました。
「そうですか? 僕は軽く感じたんですけどね。あなたみたいなのでも一応”か弱い”女の子なんですね」
そして再び登山用のバックを軽々持ち上げると、それをロフトに向かって投げ入れました。 見事にロフトに乗ったバックに続いて、先生自身も膝を曲げてジャンプします。 二mは軽くあった筈のその高低差をまるで無視して、ネギ先生は着地しました。
「じゃ、僕はこのロフトの模様替えをしますので」
ネギ先生は早速登山用のバックの中から様々な物を取りだしていきました。 角度的にここからではよく見えないのですが、とりあえず登山用を使用しただけあって、かなりの量のようです。 遠慮のえの字も無いところが神経を逆なでしますが、この行動力は驚くべき物があります。 実際自分が十歳だった頃を考えれば、教師云々以前の問題として、異国の地に一人で降り立つという事態には冷静に対応できないでしょう。 せいぜい意地を張って、最終的にホームシックになるのがオチです。
「……凄い子供では、あるのですけれど」
あの歪んだ性格が、全てを台無しにしています。
「え? ゆえ、なにか言った?」 「いえ、ただの独り言です。気にしないでください、のどか」
これからの学園生活が、果てしなく不安です。 これならばまだ、お腹を空かしたライオンの前に放り出された方が……いえ、そうまでは言いませんが。
「……って、先生ここに泊まるのぉぉぉぉおお!!!?」 「ハルナ、反応が遅すぎです。」
第一話 完 |