私達、麻帆良学園中等部2−Aの担任だった高畑先生は、頼りがいのある良い先生でした。
ああ言う方が、先生という職業の基準となるならば、最近多発する教師の不祥事なども起こりえなかったでしょう。

……いえ、あんな法を犯すような愚か者共と一緒にするのは、先生には失礼ですね。
ともかく、彼はとても良い先生だったのです。


「まぁ、高畑先生がいなくなるのは惜しいけどさ、なんでも新しい担任は10歳の子供らしいよ!」
「まさか。労働基準法にも違反しますし、そもそも中学生に勉強を教えることなど出来るはずが無いでしょう」
「冷静に考えればそうだけどね。夢って奴を持ちなよ、ゆえっち」


妙に大人びた感を残しながら、報道部であり2−Aパパラッチの称号を欲しいままにする朝倉和美さんが私の机から離れていきました。
彼女が話題を尽かす、何てことはあり得ません。
それでも会話途中の私の机から離れていったのは、朝のHRの時間が後3分と迫ったからです。


「ふぅ……」


朝に読もうと思って持ってきて、結局朝倉さんに捕まって結局開くことの無かった本を机にしまって、新担任の入室を待ちます。
今度の先生も優秀な人だと良いのですが。

クスクス……

忍び笑いが聞こえてきます。
ああ、そう言えばこのクラスのいたずらトリオが教室前方のドアから教壇にかけて色々罠を作っていたようでした。
まったく、小学生じゃあるまいし。
とか文句を言いながら、それに対する反応に僅かばかり心を躍らせてしまう今日この頃です。

キーンコーンカーンコーン。

HRの開始を告げるチャイムが鳴りました。
一つ前の席とその隣が空席のまま。
神楽坂アスナさんと近衛このかさんは遅刻決定のようです。珍しい。
珍しいと言えば、今現在の教室の静けさも珍しいです。
いつもならば局所的に騒音災害を引き起こしているこのクラスがここまで静かな理由と言えば、恐らく私と同じく仕掛けられた罠に対する新担任の反応を楽しもうとしているのでしょう。
そのかいあって、廊下からクリアな足音が聞こえてきました。
徐々に近付いてきたその足音は、ぴたりとドアの前で停止します。

「入ります」

ガラリ

ドアが開くと同時に連動して落ちた黒板消しは、教室へ入ろうとしたその人物の髪にチョークのなれの果てをぶちまけるために落下し、


「なんだこれ?」


気持ちが良いほどに見事にキャッチされました。片手で。

入ってきたのは小さな子供でした。
私のような小柄な人間が言うのも何ですが、子供でした。
成長の滞りが相当致命的なので無ければ、外見から判断して10歳やそこらと言ったところでしょう。
朝倉さんの言葉が頭をよぎります。

『まぁ、高畑先生がいなくなるのは惜しいけどさ、なんでも新しい担任は10歳の子供らしいよ!』

さすが朝倉さん、情報精度はバッチリです。

私達の新しい担任らしきその少年は、片手で掴んだままの黒板消しを首を傾げて眺め、わずかに、本当に僅かに口の端を釣り上げました。
私も表情豊かな方ではないからか、なんとなく、雰囲気で笑っている事が分かります。

背中に悪寒が走りました。
間髪おかずに鳥肌が立ちます。
あの少年の笑みは、そう、面白いオモチャを見つけたような、それでいて何かをいたぶっているような不気味な物です。

少年は黒板消しを持ったまま歩を進めます。
張られたロープを踏みつけ、今度はバケツが落ちます。
少年は直撃コースにある自分自身を、僅かに平行移動させました。
そして、バケツが落ちてくるのと同時、残像を残すような目にも留まらぬ速さで回し蹴りを放ちました。

ガッシャーンと極大の騒音をまき散らしながらバケツは吹き飛び、そのまま窓側の壁にぶつかって床に落ちました。
普通ならば床にきちんと静止するはずのバケツは、あまりの衝撃で殆ど原型を留めておらず、無様に床に転がりました。

教室内が完全に静止しています。
さっきまでのように、静かなだけでそれぞれの心の内でいろいろと想像がふくらんでいるのとは似て非なる沈黙です。
今度はそれぞれの心の声も、予測不可能だった事態にフリーズしています。
かく言う私は心の声はなんとかなる物の、驚きの声すら発することができません。
瞬間的に声の出し方を忘れてすらいました。

今度は矢が少年向かって飛びます。
先が吸盤になっていて、当たるとくっつくタイプの物です。
それらは、いつの間にか全て叩き折られて床に落ちていました。

罠を全てくぐり抜けた少年は、持っていた黒板消しを黒板の溝に置き、少々身長に対して高すぎる教卓の横に落ち着きました。

「さて、じゃあ自己紹介といきましょうか。僕の名前はネギ・スプリングフィールド、この2−Aの新しい担任です」

クラスメイト全員、全く反応しません。
まだ事態の把握が出来ていないのでしょう、唖然とした表情のまま固まっています。

しばらくそんな皆さんを見回していた少年は、今度は誰にでも分かるくらいあからさまに、嘲りの笑みを浮かべました。
そして言います。

「馬鹿面さらしてないで、なんか返事をしたらどうです」
「な、何ですって!!?」

事態の把握は完了していないようでしたが、とりあえず思考を強制終了していいんちょさんが立ち上がりました。
激怒です。憤怒です。とりあえず怒ってます。
極道の方でもびびるでしょうその迫力。
でも、新担任は表情すらぴくりと動かそうともしません。

「あなた、いきなり何を言うんですか!!」
「何って、見たままです。返事もしないでぼーっとして、まさに馬鹿面でしたよ」
「そ、それは貴方がいきなりバケツを蹴ったりするからでしょう!!?」
「そのバケツを仕掛けたのは何処の誰でしょうかね。このクラスの生徒ではないんですか?」
「っぐ……」

いいんちょさん、とりあえず着席します。
その顔はもう、凄まじいくらい怒り一色です。

「で、朝のホームルームってことですが。とりあえず僕に対する質問タイムってことにしましょう」

そうして、教室全体から怒濤の勢いで雑音の濁流が溢れ出しました。
大半の方々は席を立ち上がって文句を言い、残りは座って傍観しています。
ちなみに、私はその少数派に属し、朝倉さんは罵倒にも全く怒りを見せず、むしろ良いネタが入ったと目をランランに輝かせるという独立勢力となりました。

「とにかく、さっきの馬鹿って言うのを訂正しろ〜!!」
「質問タイムに文句を言ってくるような日本語を分かってない人は、馬鹿でいいと思いますけど」
「口が悪すぎるよアンタ!」
「貴方の方がしゃべり方が荒っぽいです。それに、僕はさっきから敬語でしょう」
「すました顔をするな!」
「あなた方のように熱暴走を起こすよりはマシじゃないですか?」

文句、嫌味、文句、嫌味、文句、嫌味。
どんどん、ヒートアップは続きます。

それにしてもあのネギとか名乗った少年、本当に冷静ですね。
問題なのはそれに不遜と生意気という属性が付属されてると言うことです。
こういうタイプは大抵生意気を言う癖に実は反論されると凄く弱かったりしてへりくつで逃げるわけですが、この少年の場合はそんなのとは比べ物にならないくらい厄介です。
ネギ……認めたくはないですが先生とつけるべきでしょうね。
そのネギ先生は事実訳の分からない暴言を吐いているわけですが、それはすべて現実にこのクラスの問題を誇張したものなのです。

嘘は本当のことを半分混ぜると殆どばれることがありませんが、それに近い状況を作り出していることになります。
しかも、人間の行動は悪く見れば幾らでも悪く見ることができます。
よって、ネタが尽きることもあり得ません。

ああ全く、冷静と生意気の間とでも言い表しましょうか。
端的に言うならば、クソガキでも構いません。
ともかくなるだけ関わりたくない人間ですね。
そんな人間が担任になるなどという事態は有ってはならないことです。
実際それを私自身が体験しているわけですが。

「あなたみたいなガキに馬鹿呼ばわりされる覚えは有りません! 少なくとも私は貴方よりも学問に通じています!!」

ああ、いいんちょさん、それは言っちゃだめです。
年下相手に学問で勝っているのは当たり前のことで、それを理由に持ち出すのは何か惨めです。
それに、あの年で担任になるからにはそれなりの実力を有しているのでしょう。
彼は飛び級どころが学府を全て省略していきなり職に就いたんですから。

「へぇ、貴方達に教える立場にある僕よりも、貴方の方が頭が良いと?」
「そ、そうです! この雪広あやか、雪広財閥の長女として教育を受けてまいりました。先生方に引けは取らないと自負しています!!」

それは、確かに事実です。
彼女の成績は学年4位、100点が当たり前でニアミスがあるかないかの彼女の学力は、既に義務教育の必要性を感じさせないレベルに有ります。

「それに、このチャオさんと葉加瀬さんは学園でも有数の天才です。馬鹿なんて発言は彼女たちに勝ってからほざきなさい!!」

いいんちょさん、更に必殺の駒を撃ち出します。
指さす先にはチャオリンシェンさんと、葉加瀬聡美さん。
彼女たちはもはや大学部ですら突出した学力を発揮しています。
世界という広い枠で格付けしてもトップクラスに食い込んでくるでしょう。
彼女たちほど天才という言葉にふさわしい人間はいないでしょうし、彼女たちほど馬鹿と言う言葉が似つかわしくない人間はいません。
名前を聞くと、ネギ先生はへぇと感心してチャオさんと葉加瀬さんの方へ顔を向けました。
普段は自分の才能を欠片も自慢しようとはしないお二人でしたが、この時ばかりは心なしか胸を張っています。
大げさに反応しないとは言え、やはり怒りの感情は抑えられないでいるのでしょう。

ちなみに大きさはそう大きくも有りません。並以下、でしょう。
私にだけは言われたくは無いでしょうが。

「チャオさんと葉加瀬さんと言えば、日本の天才中学生でしたね。オックスフォードにいた頃は結構有名でしたよ?」
「ほら見なさい!」

いいんちょさんの怒りは非常に深いようです。
ネギ先生、結構とんでもないこと口走ってたりするんですが、それに気付く様子は有りません。
ちなみに朝倉さんは、目をランランと輝かせて凄まじいスピードでメモ帳にペンを走らせています。
彼女も秀才グループに属すのですが、馬鹿だろうがなんだろうがそんなことはもうどうでもいいからかってにやってろ私はネタを集めるから! と、その背中が語っているのがよく分かりますね、はい。
確実に、今彼女の手帳に「オックスフォード在籍」とかいう項目が付け足されました。ええ、確実に。

さて、ネギ先生に視線を戻します。
驚きの表情はとっくに薄ら笑いに再生していました。

「でもまぁ、まだまだ青いですね。あと数年経ったらそれなりの学者にはなるんでしょうけど」
「な、何言いやがるアルか!!?」
「っく、私達も舐められた物ですね!!」
「別に舐めてなんかいませんよ。能力を正当に評価しているだけです」
「「ムッキーー!!!」」

そのとき、だぁんと凄まじい勢いでドアが開きました。
その向こうからやってきたのは、いいんちょさん以上の憤怒に彩られたアスナさん。
後ろのこのかさんも、アスナさんほどでは有りませんが相当怒っている様子です。
あの温和の鏡のような彼女を怒らせるなんて、一体どういう人間なんでしょうか?

……ああ、今この教室にいる唯一の男性がそれですね。
遅刻も恐らく関係していると思われます。

アスナさんはネギ先生に詰め寄り、襟首を掴んで持ち上げて怒鳴りつけます。

「アンタのせいで遅刻しちゃったでしょうが! しかもさっき先生に聞いたけど、アンタが新しい担任だって!? ふざけんじゃ無いわよ!!」
「全く同感です。こんなクラスの担任になるなんて、ふざけてるとしか言い様が有りませんね」
「……だったら今すぐたたき出してやるわよ!」
「よろしくお願いします。とりあえず生徒総会にどういう理由で僕が嫌なのかを説明して、書類に書いて、結果変更が認められたら学園長先生にさらに許可とってください。それでもOKだったら、僕は晴れて貴方達から解放されるわけです」
「そ、そんな面倒くさいこと、アンタがやればいいじゃない!!」
「貴方から切り出してきたんでしょう? それに、僕は貴方と違って忙しい人間なので。貴方は暇で人間ですら無いですし」
「まだ言うかこのクソガキィ!!!」

ああ、所で既に英語の授業開始してる時間の筈なんですけど。
……恐らくこのまま消費されるでしょうね。

 
 
 
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